photo by Downhillagogo
先週末は富士見高原で行われたルイガノカップのスラロームに参加してきました。
今回は運営スタッフのタケボウが古いメンバーに声をかけて
「オールドタイマークラス」を設けてくれたのでイッチョご期待に
お応えできればと思い色々考えた結果10年前のスタイルで行くことに。
by Otakeさん
バイクはNX DUAL。ワールドカップを転戦していた時に乗っていたバイク。
シマノエアラインていう空気圧でシフトチェンジするメカを装備。
今回組み上げた時もエア入れて一発で始動。凄すぎた逸品。
そして古い人達にも見てもらおうと、20年前のバイクも持参。
MONGOOSE IBOC SIGNATURE
ジョントマックが所属していた80年代後半、彼のシグネチャーモデルが
リリースされたのが87年。日本では翌年大ヒットしたため88トマックと
言われるフレーム。日本のヨコタ製。当時72度というヘッドアングルを
採用したのもBMX出身らしい。
そして89年にはフルチタンモデルがリリースされ、翌年の90年に
リリースされたのがこれ。
フロントトライアングルはMERLIN製チタンでリアバックはクロモリの接着。
柔らかすぎるリアを硬くするために採用された。
しかしこのモデルがリリースされる時、トマックはYETIへ移籍、
同時にロードへも進出(7-11とモトローラに所属した後MTBに完全復帰)したため、
このバイクにははJOHN TOMACの名は入ることなく、
SIGNATUREとされた、というバイク。
これにTANGEのプレステージパイプを用いたSWITCH BLADEフォーク、
ハンドルバー、TIOGA T-BONEステム、ODIグリップ、
コンポは当時のシマノ730系でBIO-PACEクランクなど。
サドルはフライトのチタン、そしてテンションディスクに
ARAYA RM17リムにタイヤはファーマージョンカズン。
この日新品のペダルを装着して何とか魅せられる形になりました。
フォークやハンドルバーは錆が進行しているので
腐る前にお披露目できて良かったです。
他にもこんなバイクがありました。
リアルレジェンド、大竹さんのOTAKE号。
80年代にシマノレーシングに所属、マウンテンバイクのコンポーネントは
この方が開発してきました。トマックとか昔のライダーはみな友達。
僕もラピッドファイヤ-の開発時にはテストで参加させてもらいました。
大竹さんがチャンピオンを獲得した翌年に一度だけ勝つことができたのは
僕のMTB人生の中で一番の自慢かもしれない。
ヒロコのHARO EXTREMEはヒロコが高校生だった頃のバイク。
KYBの小倉さんがスペシャルで作ってくれたリヤユニット。
フロントサスは見えないけど初期のSHOWA。
当時お世辞にもいいバイクとは言えなかったこのマシンを
大竹さんが加工してマンモスも走るバイクに仕立て上げた1台。
猪俣康一がアメリカのYETIに所属していた時のバイク。
日本のディストリビューターではなくて本国のサポートを
受けていたからリアルファクトリーマシン。
これは猪俣3兄妹の兄、健一が持ち込んだGT RTS。
フロントにはROCK SHOXのMAG21 SL TITANIUM。
そしてリッシーのリアユニットにリアバックは
チタン製。ノーマルはシートステイとチェーンステイが
溶接されていて構造的に無理があったがこれにはピボットが
加えられているといった物で僕は初めて見た。
これまた古株の武川君。プラザ阪下時代のクロカンで競いました。
マシンはキャノンデールのDELTA V1000。
コンポはSUNTOUR XC PRO。泣けてきます。
この発泡&カバーのヘルメットが一番やばい。
これはFAT CHANCE。SYNCROSにXTRなどで綺麗。
そしてスペシャのスタンプジャンパー FSR。
TIOGAのREVOLVERクランクがポイント。
とここまで書いて撃沈。
ライディングはまたということで。。
「オールドタイマークラス」を設けてくれたのでイッチョご期待に
お応えできればと思い色々考えた結果10年前のスタイルで行くことに。
by Otakeさん
バイクはNX DUAL。ワールドカップを転戦していた時に乗っていたバイク。
シマノエアラインていう空気圧でシフトチェンジするメカを装備。
今回組み上げた時もエア入れて一発で始動。凄すぎた逸品。
そして古い人達にも見てもらおうと、20年前のバイクも持参。
MONGOOSE IBOC SIGNATURE
ジョントマックが所属していた80年代後半、彼のシグネチャーモデルが
リリースされたのが87年。日本では翌年大ヒットしたため88トマックと
言われるフレーム。日本のヨコタ製。当時72度というヘッドアングルを
採用したのもBMX出身らしい。
そして89年にはフルチタンモデルがリリースされ、翌年の90年に
リリースされたのがこれ。
フロントトライアングルはMERLIN製チタンでリアバックはクロモリの接着。
柔らかすぎるリアを硬くするために採用された。
しかしこのモデルがリリースされる時、トマックはYETIへ移籍、
同時にロードへも進出(7-11とモトローラに所属した後MTBに完全復帰)したため、
このバイクにははJOHN TOMACの名は入ることなく、
SIGNATUREとされた、というバイク。
これにTANGEのプレステージパイプを用いたSWITCH BLADEフォーク、
ハンドルバー、TIOGA T-BONEステム、ODIグリップ、
コンポは当時のシマノ730系でBIO-PACEクランクなど。
サドルはフライトのチタン、そしてテンションディスクに
ARAYA RM17リムにタイヤはファーマージョンカズン。
この日新品のペダルを装着して何とか魅せられる形になりました。
フォークやハンドルバーは錆が進行しているので
腐る前にお披露目できて良かったです。
他にもこんなバイクがありました。
リアルレジェンド、大竹さんのOTAKE号。
80年代にシマノレーシングに所属、マウンテンバイクのコンポーネントは
この方が開発してきました。トマックとか昔のライダーはみな友達。
僕もラピッドファイヤ-の開発時にはテストで参加させてもらいました。
大竹さんがチャンピオンを獲得した翌年に一度だけ勝つことができたのは
僕のMTB人生の中で一番の自慢かもしれない。
ヒロコのHARO EXTREMEはヒロコが高校生だった頃のバイク。
KYBの小倉さんがスペシャルで作ってくれたリヤユニット。
フロントサスは見えないけど初期のSHOWA。
当時お世辞にもいいバイクとは言えなかったこのマシンを
大竹さんが加工してマンモスも走るバイクに仕立て上げた1台。
猪俣康一がアメリカのYETIに所属していた時のバイク。
日本のディストリビューターではなくて本国のサポートを
受けていたからリアルファクトリーマシン。
これは猪俣3兄妹の兄、健一が持ち込んだGT RTS。
フロントにはROCK SHOXのMAG21 SL TITANIUM。
そしてリッシーのリアユニットにリアバックは
チタン製。ノーマルはシートステイとチェーンステイが
溶接されていて構造的に無理があったがこれにはピボットが
加えられているといった物で僕は初めて見た。
これまた古株の武川君。プラザ阪下時代のクロカンで競いました。
マシンはキャノンデールのDELTA V1000。
コンポはSUNTOUR XC PRO。泣けてきます。
この発泡&カバーのヘルメットが一番やばい。
これはFAT CHANCE。SYNCROSにXTRなどで綺麗。
そしてスペシャのスタンプジャンパー FSR。
TIOGAのREVOLVERクランクがポイント。
とここまで書いて撃沈。
ライディングはまたということで。。